おはようございます、藤原です。
「学びとは何か」について、深く考えないままに「学び」に時間や労力を費やしている人は、意外と少なくないようです。
その結果、毎月何十冊も本を購入し読破しているのに、実生活は何も変わらない。
あるいは、セミナーや動画などで先生(講師)から丁寧に教えてもらっているのに、まったく自信がつかないし、職場でも活かせていない。また、どんな場で活かせばいいのかもわからない。
そのような学びの仕方を継続していては、自分の時間とお金と心が疲弊していくだけで、反対に悩みを増やしてしまうことになってしまうかもしれません。
多くの人は、幸せになるために「学び」を継続しているのではないでしょうか。
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「学びとは何か」は、あまりにも抽象度が高い問いであり、考えたこともないと言われる人もいらっしゃるでしょう。
反対に、学びとは「知識を習得することである」とか、「知識が増えると楽しい」とか、「生きていく上において必要な知識を身につけること」とか。
あるいは、最高学府である大学などの場合は、「普遍的な真理を探究すること」などと自分なりの答えを用意されている方もおられるでしょう。
最近の教育業界であれば何事においても「アクティブ・ラーニングだ!」と方法論を述べられる方も多く、知識の詰め込みはNGで、話し合いはOKみたいなことを聞く機会も多いです。
元小学校教員として言わせていただけば、アクティブ・ラーニングは昔からあった方法論です。この言葉が使われていなくても教師の中には、どうしたら子ども達に考える力をつけさせることができるかと試行錯誤しながら、対話(ダイアローグ/哲学プラクティス)を重視した授業を行う熱心な教師も散見されました。
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それはさておき、一段抽象度を落として「何のために学ぶのか」という問いであればどうでしょか?
小学生であれば、「何のために勉強するの?」という素朴な問いを投げかけることがあります。それに対して多くの大人は、「職業の選択肢が広がるから」とか「いい仕事に就くため」などと答えるのが一般的でしょう。
大人であれば、「何のために学ぶのか」という問いは、すべての人が人生の転換期において何度も浮上してきた問いではないでしょうか。
そして「こんなことをして一体何になるのだろう」と疑心暗鬼になりながらも、仕事でより高いポジションに就くためとか、部下を教育するためとか、人生を豊かにするためとか…。
その人なりの理由があり、目的意識を持って何らかの学びを継続しているのだと思います。
話を本題に戻して「学びとは何か」について。
辞書に書いてあるような一般的なことではなく、自分なりに「定義」することが大切ですが、そもそも人間は「学びたい」「成長したい」という欲求を持っています。それをニーチェは「力への意志」(根源的な生命力に基づく意志)と提唱しました。
個人的には、学びとは「自分の無知さに気づく行為」だと認識しています。(無知の知)
学べば学ぶほど、いかに狭い世界で高慢になっていたかに気づくことができます。そこから先に進むにはどうしたらいいかを考えると、世界と人間の「本質」を知ることが重要だという結論に達します。
「本質」を知るということは、今より視点が上がるということであり、視点が上がると世界の見え方が変わります。
私の場合は、世界の見え方が変化していくことがおもしろくて、現在も哲学(美学を含む)についての学術文献を読んだり、実生活で研究を行ったりしています。また、これらを総まとめした新しいコンテンツの準備も楽しみながら同時進行で進めているところです。
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