おはようございます、藤原です。
タイトルに「言動 VS 人柄」と書きましたが、もう少しわかりやすく言うと「善い言動」と「善い人」。
この違いについて述べてみたいと思います。
物心ついた頃から聞いてきた言葉に「善い行いをすればよい報いがあり、悪い行いをすれば悪い報いがある」(因果応報)がありますが、これについてどう思われますか?
世の中を見渡してみると、心の優しい善い人の中には、他者に騙されたり、依存症の人の尽くしたりと、傍から見ていてとても苦労されている方をおみかけします。
一方で、平気で他者を騙したり、暴力を振るったりする人ほど、仕事で結果を出したり、権力のある高い地位についたりして、人生を謳歌しているように見える人もいます。
古代インド思想では、因果応報が前世まで及ぶと伝えられていますし、スピリチュアルの世界ではこれを「引き寄せの法則」と言ったりしています。
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「善い言動」「悪い言動」という「善/悪」の基準は本来相対的なものですが、ほとんどの人は、自分の基準で善悪を判断し、「あの人のせいでこんな結果になった…。」と因果論で捉える傾向にあります。
様々な要因が複雑に絡み合って一つの現象が現れますから、因果関係というより相関関係と捉えたほうが賢明です。
どんなに自分は善いことをしたと思っても、相手がどう受け止め、それをどう評価するかはわかりません。自分の意に反した評価をされる場合もあるでしょう。
相手にとっては、それが迷惑であったり、傷つくことであったりするかもしれません。いわゆる、自分は「気を利かせた」つもりでも、相手にとっては「お節介」と思われる…。
あるいは、自分が意図的に嘘をつく場合もあるでしょう。相手を傷つけないようにあえて隠すとか、オブラートに包むとか…。サプライズで相手を喜ばせたいという場合もこれに似ています。
自分が善いと判断してとった言動は、その時点では判断できないものであり、時間の経過と様々な要因によって偶発的に起きた「結果」によって評価されるもの。
このような功利主義優先の考え方になってしまった現代において、「善い言動」と「善い人」は分けて考えなければならないでしょう。
では、「善い言動」と「善い人」の違いは何か?
他者の役に立ちたいとか、他者を幸せにしたいと思った言動が、その根底に「他者から感謝されたい」「善い人だと思われたい」というエゴイズムによって突き動かされたものであれば、それは真の意味で「善い言動」とは言えないでしょう。
「善い言動」というのは、結果の良し悪しを手放したもの。言い換えると「自利 / 利他」を乗り越えた「善き心」によって突き動かされた行為であり、それを実践している人が「善き人」。
別の言葉でいえば、「徳のある人」とか「人格者」など。
うわべだけの「善い言動」ではなく、根底にある「善き心」が大切だということになります。
私も「善き人」を目指して精進していきたいと思います。
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