おはようございます、藤原です。
「本当の自分がわからない」とか「本当の自分ではない」と思い悩む人は意外と少なくありません。
悩む要因の一つとして、世間で「自分らしく生きる」とか「ありのままの自分」がよいという考え方が流布しているからだと考えらます。
例えば、「無理して笑顔を作っている自分は、本当の自分ではない。」「会社や学校にいる時の自分は、本当の自分ではない。」「他人に気を使っている自分は、本当の自分ではない。」と悩むということは、裏を返せば、本当の自分でいることができたら、もっと生きやすいと思っているということ。
確かに、自分の感情に蓋をしたり、自分を偽ったりするとストレスが溜まって精神的におかしくなることがあり、「本当の自分」でいられたらそれに越したことはないでしょう。
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「本当の自分」とは、一体なにか?
仮に今の自分が「本当の自分」でなければ、「偽りの自分」「嘘の自分」なのでしょうか?
そこにフォーカスを当てたばっかりに、泥沼にハマってしまった人を何人も見てきました。
そもそも「本当の自分」とか「偽りの自分」というのは存在するのでしょうか?
存在すると考えれば、それは対立関係になってしまうのは明らかです。
無人島や山奥に籠もり、たった独りで生活するのであれば、「本当の自分」を存分に謳歌することができると思いますが、人間は他者との共同生活の中でこそ自分の「存在意義」を見出すことができるもの。
そう考えると、その場その時の状況を瞬時に把握して、他者に対して「演技」し、関係性を構築することが大人としてのマナーではないでしょうか。
幼い子供であれば、わがままを言っても許されることは多いと思いますが、いい大人が「本当の自分」をさらけ出すのは教養の低さを露呈しているような気がします。
職場では「役職にあった自分」や「仕事上の自分」を演じるでしょうし、我が子と接する時は「親としての自分」や「威厳のある自分」など、親と接する時は「子供としての自分」や「甘える自分」など、友達と接する時は「温厚な自分」「真面目な自分」「ふざけた自分」などというように、「〇〇の自分」がいくつもいると考えたほうが賢明ですし、実際に無意識のうちにそうされている方も多いと思います。
その証拠に、ふだんは控えめで口数の少ない人だと思っていた人が、SNS上では他者を罵倒していたりすることを見かけることもあるでしょう。
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現在、「本当の自分」を求めて自分探しをしている人は、他者に合わせすぎて心が疲弊しているのかもしれません。
そうであれば、いっそ他者に合わせない、媚びないと決断して、実際にそのような行動をしてみることをオススメ致します。
そうすると、他者から嫌われたり、浮いたりすることがあり、それなりの苦しみや違和感を感じることもあるでしょう。その結果、相手との関係性に亀裂が生じる可能性も…。
大切な人との縁が切れるようであれば残念ですし、嫌な人との縁が切れるのであればスッキリするもの。
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人間は生活の様々な場面において、いろんな他者と関係を結びながら生きています。
その関係性を維持するため、あるいはどんな関係性にしたいかによって「〇〇の自分」を取捨選択したり、組み合わせたりして、最善の自分を演じているのだと思います。
哲学的な知見に立てば、「本当の自分」も「偽りの自分」も存在しません。
よって、本当の自分探しをしても、永遠に答えを見つけることはできない…。
まずは、この事実を認めることから始めるしかありません。
ここで、「どうしても本当の自分をみつけたい!」という人は、自分で「本当の自分を創る」「自分という人間を創る」ことをオススメ致します。
自分がどう生きるか、自分が何のために生きるかは、自分で創るものであり、それは人間としての崇高な行為。
そのことを哲学者サルトルは、「実存は本質に先立つ」と言いました。
これこそが「美学」に通じる道だと言えるでしょう。
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