おはようございます、藤原です。
朝、ガーデニングをしていると登校している小学生や子どもに付き添って一緒に通学路を歩いている保護者の姿を見かけます。
笑顔で元気に登校している子どももいれば、うつむき加減でゆらゆらした足取りの子どもも見られ、その表情は十人十色。
先日は、近くのお家から母親の罵声が聞こえてきました。どうも登校渋りのお子さんがいらっしゃる様で、子どもを怒鳴っておられました。
親子共につらいだろうなと、私も胸が痛くなりました。
私が教員になりたての頃(38年前)から、不登校気味の子どもが散見されていました。
当時は、「登校拒否」と表現しており、「不登校」へ改称されたのは1990年以降。それからというもの不登校は増加を続けています。
子どもが不登校になると、親(保護者)はとても困惑します。多くの場合、子どもにその原因を聞いてもわかりませんし、仮に原因を語ったとしても本当の理由ではありません。
(あらゆる問題は、単独では存在しませんから。)
親は、本当の理由を知りたくなり、担任の先生や学校、あるいは友達に不信感を抱き、問題の矛先を他者に向けます。そうなると問題はますます厄介なものになってしまいます。
さて、ここからが本題です。
学校教育に限らず、人間は成長過程において家庭教育、幼児教育、社会教育など様々な環境のもとで年齢に相応しいと思われる意図的な「教育」を受けて自立への道を歩いていきます。
世間一般では、「教育」とは「教えて育てること」などと言われていますが、これは使用されている漢字の表象を分解しただけであり、教育の定義とは言えません。
では、「教育」とは何か?
それを考えるには、人間の成長の過程を分析する必要があります。
出生という母親との分離の儀式を済ませても、まだまだ他者に依存しなければ生きていけません。そして、早く自立できるために「しつけ」という教育が施されます。
食事を例にとると、日本の場合は、ご飯は箸で食べる、右手で持つ、いただきますやごちそうさまの挨拶、座って食べる、よく噛んで食べる、食べこぼしがあったら拾う、テーブルを拭く、食器は片づけるなど。
ご飯を手で食べたり、箸を左手で持ったりすると注意され、遊びながら食べると怒られ、自分の食器ぐらいは自分で片づけるのがマナーであることを教えられます。
このようなことが、ありとあらゆる日常生活の中で起きており、それを経験しながら自立へと…。
そう考えると、極端な表現かもしれませんが、教育とは「強制」することであり、「意図的な強制」によって、社会(国)が求めるに値する人間に矯正すること。
(念のために申し上げておくと、このことに善悪はありません。
むしろ、人間を人間たらしめているのは「教育」であると思っていますし、日本に生まれたことに感謝しています。)
知識のある人は、誰もが暮らしやすい「共生社会」が大切であると言います。人間が人間社会の中でうまく生きていくためには大切な価値観です。このような場合は、「強制」や「矯正」は背景に沈んでしまい、表面上の「共生」しか見えていない状況であると言ってよいでしょう。また、そのことに気づくこともないでしょう。
人間が価値ある生活を営むには、外の「構造」(環境)にどれだけ対応できるか、あるいは他者より優れた才能や技術をどこまで自分の置かれた環境に適応させることができるかが重要となります。
一方で、「教育」が強制や矯正であるならば、いっそ教育など受けなければ人間は「自由」でいられるのではないかと考える人もいるでしょう。
ところが、ますます「自由の刑」に処されます。自己中(自分勝手)が強化され、人生の終焉まで他者との揉め事が生じ、孤独感に苛まれることになります。
よって、ある時期(個人差がある)までは教育を通した「知の基礎」というものが必要であり、ある時期からは「知の応用」が大切になってくると。
ここで冒頭の不登校に話を戻すと、本人や関係者の努力によって早期解決ができれば、こんなによいことはありません。
しかし、努力してもなかなか功を奏さず、不登校の状態が長引いてしまうことも多いもので、そのような方々からのサポートのご依頼を受けております。
今の時代であれば、実際に学校に登校しなくても学ぶ方法はいくらでもあります。
唯一、学校に行って身につくものと言えば、先生や友達から「監視」されながら、どうやったらその環境に適応して生きていくことができるかを学ぶことだと思っています。
(=「監視社会」の中で生き延びるコツ)
人間が「監視社会」の中で生きていくには、時には自分を薄め、集団に馴染んだように見せることで安心を手にすることができる、一方で自由になりたいという衝動もある、という二面性と矛盾を抱えながら、心を鍛えていくしかありません。
これは、学校だけでなく、職場やコミュニティにおいても同様です。
心のトレーニングに終わりはなく、その努力を継続していく姿こそ、人間として美しいと言えるのではないでしょうか。
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