おはようございます、藤原です。
幼い子どもが「今」を自ら楽しんでいる姿は、非常に愛らしいものです。
ブロックをしているかと思えば、次は折り紙で紙飛行機を作って飛ばしてみたり、さらに次は色鉛筆を持ってきてお絵描きをしてみたり…。
能動的に行動し、今を満喫しています。
ところが大人はこのような光景を見ると、つい未来の不都合を想定して注意するものですが、今に集中している子どもは馬耳東風。
幼い子どもは、過去や未来に思考を巡らすということが苦手ですから、同じ失敗を何回も繰り返しますし、未来の不都合などお構いなし。
その経験(失敗)の積み重ねによって、学びを定着させ一歩一歩成長しています。これを別の視点から捉えると、能動的に「変化」していると言えます。
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さて、私たち大人は、いつの頃から変化することに不安を感じるようになったのでしょうか?
多くの人は、「安定」した生活を望みます。
家族にしても、仕事にしても、交友関係にしても、安定した心地よい関係が長く続くことを願っているもの。
それは、個人の価値観や社会の常識が変化しないことを意味しています。
ここで、「今の生活に満足しているわけではないので、よくなるように変化したい」と思っている人もいるでしょう。しかし、このような人もいざ新たな行動を起こさなければならない状況に直面すると、前に進むことを恐れて後退りしてしまい、結局は「変化しない」選択をしてしまう人が多いようです。
(そんな方々をサポートし、背中を押す役割が私の仕事の一つでもあります。w)
人間は本来、怠け者で愚かな生き物。
安心を維持しようと同じ状態を続けていると、必ず飽きてきます。
また、同じ刺激を受けても、そこから得られる安心や満足はだんだん弱くなり、もっと強い刺激がなければ同レベルのそれを得ることができず、より強い刺激を求めるようになります。
そもそも「安定」とは何か?
辞書には、「 物事が落ち着いていて、激しい動揺や変化のない状態にあること。また、そのような状態にすること。」などと書いてありますが、もう一段思考を進めることが肝要。
個人的には、「様々な変化に対応できる状態にあること。また、変化に対応できるという自信から生み出される理性的な安定のこと。」だと定義しています。
そのためには、幼児のように能動的に変化していくことを楽しめる自分になることであり、結果の良し悪しは無関係。
現状に甘えてラクをしようとしたり、他者に依存したりするような受動的なあり方ではなく、能動的に学ぶことを楽しみ、未来の不安は一旦横に置いて今できる行動を起こしてみる…。
たとえ絶望的な物事が降り掛かってきても、心のあり方次第で、絶望を希望に変えることは可能。
ここまでをまとめると、一般の人が考える「安定」した生活を続けていると、人間は「劣化」してしまいます。ビジネスの場合は「退化・衰退」と言えるでしょう。
理性的な安定は、学び・経験・努力の上に成り立つものであり、欲望や感情をコントロールできる強い精神性が必須。それを人々は「人格の成長」と呼んでいます。
上を目指していきたいのであれば、変化していく以外に道はありません。
覚悟を決め、その先にある理性的な安定を目指して努力していく姿こそ、美学に通じる道だと言えるようです。
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