厳しさを乗り越えた庭の子どもたち
おはようございます、藤原です。
2ヶ月前より、哲学・美学的な内容は、弊社限定サロン(非公開メルマガ)のみにて公開することにしました。
今後は、こちらのブログでは趣味的なものや個人的なもの、軽く読めるものを扱っていきたいと思います。
早速ですが、最近興味がでてきたもの…。
それは、「古典」と「歴史」です。
この2つは、私が最も苦手としていた領域。高校の時から嫌いになり、避けてきた分野です。
ところが、人とのご縁により「勉強してみたい!」という気持ちが芽生え、今では、それらに触れている時間がとても充実したものになっています。
おいおいこちらのブログでも紹介していくかも…しれません。(笑)
さて本日の本題は、趣味の一つであるガーデニング。
夏の厳しい暑さに粘り強く耐え抜いた、庭の子どもたち。
可憐に、且つ、凛とした姿に心を奪われています。

バラ メルヘンツァウバー

クレマチス 白万重

ダリア ラペラミデッオ

パキスタス

ネメシア

ミニバラ

ミニバラ

ランタナ

アンゲロニア

アリッサム

千日紅

ユーフォルビア、ハツユキカズラ

ヒューケラ
まだ他にもありますが、ご紹介はこれくらいにて。
今後は、秋・冬の花苗を植えたり、ハンギングバスケットにチャレンジしたりしながら、ガーデニングを楽しみたいと思います。
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「本当の自分」などない
おはようございます、藤原です。
「本当の自分がわからない」とか「本当の自分ではない」と思い悩む人は意外と少なくありません。
悩む要因の一つとして、世間で「自分らしく生きる」とか「ありのままの自分」がよいという考え方が流布しているからだと考えらます。
例えば、「無理して笑顔を作っている自分は、本当の自分ではない。」「会社や学校にいる時の自分は、本当の自分ではない。」「他人に気を使っている自分は、本当の自分ではない。」と悩むということは、裏を返せば、本当の自分でいることができたら、もっと生きやすいと思っているということ。
確かに、自分の感情に蓋をしたり、自分を偽ったりするとストレスが溜まって精神的におかしくなることがあり、「本当の自分」でいられたらそれに越したことはないでしょう。
*
「本当の自分」とは、一体なにか?
仮に今の自分が「本当の自分」でなければ、「偽りの自分」「嘘の自分」なのでしょうか?
そこにフォーカスを当てたばっかりに、泥沼にハマってしまった人を何人も見てきました。
そもそも「本当の自分」とか「偽りの自分」というのは存在するのでしょうか?
存在すると考えれば、それは対立関係になってしまうのは明らかです。
無人島や山奥に籠もり、たった独りで生活するのであれば、「本当の自分」を存分に謳歌することができると思いますが、人間は他者との共同生活の中でこそ自分の「存在意義」を見出すことができるもの。
そう考えると、その場その時の状況を瞬時に把握して、他者に対して「演技」し、関係性を構築することが大人としてのマナーではないでしょうか。
幼い子供であれば、わがままを言っても許されることは多いと思いますが、いい大人が「本当の自分」をさらけ出すのは教養の低さを露呈しているような気がします。
職場では「役職にあった自分」や「仕事上の自分」を演じるでしょうし、我が子と接する時は「親としての自分」や「威厳のある自分」など、親と接する時は「子供としての自分」や「甘える自分」など、友達と接する時は「温厚な自分」「真面目な自分」「ふざけた自分」などというように、「〇〇の自分」がいくつもいると考えたほうが賢明ですし、実際に無意識のうちにそうされている方も多いと思います。
その証拠に、ふだんは控えめで口数の少ない人だと思っていた人が、SNS上では他者を罵倒していたりすることを見かけることもあるでしょう。
*
現在、「本当の自分」を求めて自分探しをしている人は、他者に合わせすぎて心が疲弊しているのかもしれません。
そうであれば、いっそ他者に合わせない、媚びないと決断して、実際にそのような行動をしてみることをオススメ致します。
そうすると、他者から嫌われたり、浮いたりすることがあり、それなりの苦しみや違和感を感じることもあるでしょう。その結果、相手との関係性に亀裂が生じる可能性も…。
大切な人との縁が切れるようであれば残念ですし、嫌な人との縁が切れるのであればスッキリするもの。
*
人間は生活の様々な場面において、いろんな他者と関係を結びながら生きています。
その関係性を維持するため、あるいはどんな関係性にしたいかによって「〇〇の自分」を取捨選択したり、組み合わせたりして、最善の自分を演じているのだと思います。
哲学的な知見に立てば、「本当の自分」も「偽りの自分」も存在しません。
よって、本当の自分探しをしても、永遠に答えを見つけることはできない…。
まずは、この事実を認めることから始めるしかありません。

ここで、「どうしても本当の自分をみつけたい!」という人は、自分で「本当の自分を創る」「自分という人間を創る」ことをオススメ致します。
自分がどう生きるか、自分が何のために生きるかは、自分で創るものであり、それは人間としての崇高な行為。
そのことを哲学者サルトルは、「実存は本質に先立つ」と言いました。
これこそが「美学」に通じる道だと言えるでしょう。
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子どもは哲学者?
おはようございます、藤原です。
子どもは、よく「なぜ?」とか「どうして?」という問いを投げかけてきて、大人を困らせることがあります。
先日は、幼い子どもが「心はどこにあるの?」「心は何色なの?」と質問してきました。
子どもと接していると、このような場面はよくあることであり、一見、「哲学っぽい問い」。
だからでしょうか、世間では「子どもは哲学者」であると言われることがあります。
確かに子どもは、疑問に感じたことや知りたいことを素直に質問したり、見たまま・思ったままのことを言葉にしたりしますので、大人にとってはそれが新鮮に感じられたり、意外な気づきを得られたりするもの。それが、見る人からみると「哲学っぽい問い」に感じられることもあるでしょう。
例えば、子どもが「心はどこにある? どんな形なの? 何色なの?」という問いを投げかけてきたとき、ほとんどの大人は答えに困るでしょう。
そもそも「心」は概念なので存在しません。
しかし、「心」という言葉を知ることにより、どこかに存在していると思ってしまうもの。これは子どもに限ったことではなく、大人も同様です。
さらに例を挙げると、「愛」という言葉もしかり。「愛」という言葉を知ることにより、「愛がある」「愛がない」ということが問題になり、トラブルや悩みにまで発展することになります。
話を元に戻します。
大人は、子どもの「心はどこにある? どんな形なの? 何色なの?」という問いに対して、夢を壊さないために、「心は胸あたりにあるのかなぁ。ハートの形で虹色かもしれないね。」などと返答するのが関の山。
「子どもの問い」と「大人の問い」は、似て非なるもの。
「子どもの問い」は、知らないことが出発点。
「知りたい」という欲望から発せられるものであり、その問いによって「概念を深めたい」という考えには至りませんし、幼い子どもはそこまで理解できる能力もなければ、世間の常識も知らない状態。
一方で、「大人の問い」は、基礎学力を基盤とし、さらに社会の常識やルールを理解した上で、あえて懐疑し、意図的に問いを立てます。
この違いは、歴然としています。
では、子どもは「哲学する」ことはできないのか?
そんなことはありません。
私は、教員時代に小学低学年(1・2年)に哲学対話を試みてきました。子どもなりに、自分が獲得している語彙で言葉を紡ぎ出したり、友達の考えに共感したりすることができ、そのときの子どもたちの目はキラキラしていました。
世界規模で見てみると、1960年代から「子どものための哲学」というのがスタートしており、日本では、この10年の間に様々な場面で取り組まれるようになりました。
学校教育では、私立・国立だけでなく、一般の公立学校でも「哲学対話」を推進したいという学校が増えていますが、現実問題として、教師側がそのやり方を理解していないので、なかなか浸透していないのが現状のようです。
それに対して、哲学カフェ、職場での対話型研修、地域のコミュニティセンター(地域づくりのための対話集会)などでは哲学の素養を持つ人がファシリテーターとなり、哲学対話を引っ張っていっているようで、集団的な意思決定をするのに哲学対話が非常に役立っているとの報告を受けています。

「子どもは哲学者」とは言えませんが、「哲学者予備軍」とは言えそうです。
子どものうちから「哲学対話」を通して、思考力を高め、他者との対話によって視野を広げたり、他者への理解を深めたりしながら、生きる知恵へと繋いでいってくれたらと願います。
子どもだけでなく、大人も哲学対話を定期的に繰り返すことで、自然と「美学的な生き方」に繋がっていくものだと思っています。
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