何かの目標に向かって取り組んで
いる時に、伸び悩んだりミスしたり、
思考停止状態になったりして
「私には、才能がない」と自信を
失くすことってありませんか?
「才能」とは、どんなこと
なのでしょうか?
辞書などによると、
「物事をうまく成しとげる優れた
能力。技術・学問・芸能などに
ついての素質や能力」
などと明記されています。
他の人より優れている「何か」が
あるこということでしょうか。
例えば、走るのが速い、料理が上手、
字が綺麗! などから、芸術家、
音楽家、俳優、歌手。
または、オリンピックで入賞する
とかノーベル賞を受賞する、偉業を
成し遂げるなどまで幅広いと思います。
なにかの分野で日本一とか、
世界一になろうとすれば、
先天的な素質+後天的な努力
が必要になります。
目標を上げすぎると達成率が低く
なりますし、目標を下げすぎると
「井の中の蛙大海を知らず」
になります。
ところで・・・、子どもの頃を
思い出してみてください。
保育園の頃、お母さんと一緒に
買い物に行く時に、街まで行く
道順を知っているだけで
「すご〜い!」と尊敬して
いませんでしたか?
小学校6年生の時に、テストが
いつも90〜100点を取っていた
頭のいい子を「あの人、天才〜!」
とか言っていませんでしたか?
中学校の時に、「読書感想画」に
出品して毎年「県特選」などを
取る人を「絵の才能がある〜。」
と言っていませんでしたか?
才能の「基準」とは、
何なのでしょうか?
・誰から見ての才能?
・どの集団においての才能?
・どの年齢層においての才能?
・どの時代においての才能?
小さな社会(家族、学校)の中
での才能の基準と、大きな社会
(地域、国)の中でのそれとは、
レベルが全く異なるのです。
きっと世界基準の才能は、
尋常ではない精神力や行動力が
必要となるのでしょう。
ですから、才能の「基準」は
様々と言ってもいいでしょう。
「人により、社会により、基準は違う」
ということです。
「才能」という言葉があることで、
「無能」「有能」という言葉に
振り回されてしまいます。
「私は無能で価値がない」とか
「あの人は有能で価値がある」とか。
そんなことで悩まなくていいのです。
私たちの世界は、この様に「才能」
「ある」「ない」「無能」「有能」
などの“言葉”によって、余計な問題
を生んでしまうものなのです。
哲学者のゴットロープ・フレーゲは
「私たちの世界(思考)は、
“意味”に支配されている」
と提唱しました。
換言すれば
「“意味”に惑わされ、余計な
問題(悩み)を生んでいる」
ということです。
ですから、
言葉に惑わされ悩むのではなく
「自分で決めたことを貫き通す行動力」
こそ、才能ではないでしょうか。
そもそも「自分で決める」ことの
できない人が増えています。
「自分で決めた」上で「貫き通す行動力」
が問われるということです。
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