おはようございます、藤原です。
地位や肩書が立派になればなるほど相談できる相手が少なくなり、深い悩みを引きずっている人が多いというのを実感しています。
そのような方々の問題を一言で表現するならば、「迷い」があるということ。
「経営のことで、立ち上げた時から今まで何年もずっと迷って生きてきました。今もまだ迷っています。」
「親の会社を引き継いで経営はどうにか成り立っているのですが、人材育成にずっと迷っています。」
というようなお悩み。
人間はどんなに経験を積んでも、地位や肩書が高くなっても、また、どんなに年齢を重ねても「迷う」生き物です。
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仕事をすること、生きるということは、大なり小なり辛さを伴うものであり、私たちはいろんな迷いに翻弄されながら存在していると言ってもよいでしょう。
その結果、時間や労力やお金を消耗してしまうものですが、何事に於いても大切なのは早めの対応。問題が大きくなってからでは、時間も労力もお金も何倍もかかります。
一方で、物事がうまくいっている時や何の迷いもなく快適に物事が進む時期というのもあります。そのような時は、充実感や幸福感を得ることができるでしょう。
しかし、意外とそこから学ぶことは少なく、かえって迷っている出来事から学ぶことが多かったりするものです。
個人的には「迷う」ことはよいことだと思っています。
しかし、ただ迷っているだけでそこで思考停止をしてしまうと、人間はどんどん悲観的な捉え方に陥ってしまい、底なし沼に足を踏み込んだ状態になってしまいます。
また、迷っている状態というのは、意思決定ができずに悶々としている状態でもあり、心の中では「私の選択が間違っていなかったら、背中を押して欲しい…。」「もし、私の選択が間違っているのだとしたら、正しい答えを教えて欲しい…。」と思っているものです。
言い換えると、他者に「答え」を教えてもらいたいということ。
なぜ、私たちは「答え」を求めるのか?
それは、自分の意思決定に自信がなく、正解がわからないから。
解決したいという前向きな気持はあるものの、次の行動が起こせないといった停滞した状況。
このような状況の時に、2つの選択肢があります。
一つは、迷っている現状に対して「見て見ぬふりをする」こと。
もう一つは、迷っている現状に対して「直視して乗り越える」こと。
前者は、自分の思考を誤魔化す。または、時間が解決してくれると楽観的に捉える。どちらもそのうちに忘れてしまいますが、そのツケは大きくなって再び自分に戻ってきます。
後者は、乗り越えるために、自分がやったことのない新たな行動を起こすことになります。
先ほど、「迷う」ことはよいことだと申しましたが、それは呆然と「問題に迷う」ことではなく、意図的に「思考に迷う」こと。それが人生を向上させる上において重要です。
今の時代、迷った時に答えを探そうと思えば、簡単に答えを探すことはできますし、簡単な解決法は商品(サービス)としても提供されています。
難解な悩みを解決するにはどうしたらいいのか?
一人で「迷う」のは難儀するでしょうし、意思決定を間違えてしまった場合に、自分を責めたり悔やんだりして自己嫌悪に陥ってしまうかもしれません。
おすすめするのは、「思考の迷い」のトレーニングを積んだ人、あるいは迷いを経験し乗り越えてきた人と、対話を通して最善の答えを探っていくこと。そして、次の新たな行動を起こすこと。
そうすると、今のあなたが考えてもいなかったよい方向に物事が動き出すはずです。
以前、「藤原さんは迷った時どうしているのですか?」というご質問をいただいたことがあります。
今の私は、誰にも相談しません。
なぜならば、解決法を提示してくれそうな人がいないからです。
誰にも相談せず、徹底的に「思考の迷い」を楽しみます。その時の思考のよりどころは、古今東西の哲学者達であり、時代という文脈を超えて、人間と世界の本質から迷いを眺めることは、美学的な距離を意識するうえで非常に役立っています。
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◾️東京官学支援機構 専務理事
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