おはようございます、藤原です。
「自分が悪いとわかっているのに、夫に謝ることができません。言えない自分が不甲斐ないです。」
ある女性からのご相談ですが、意外と心当たりのある方も多いのではないでしょうか?
一方で、「揉め事があったら、とりあえず“ごめんなさい”と謝ります。これ以上面倒になるのが嫌だからです。」とおっしゃる方もたまにおられます。
私たちは、「ごめんなさい」という謝罪の言葉にどんなイメージを持っているのでしょうか?
「自分が間違っていた」「自分が悪かった」「自分が負けた」ということを認める言葉であり、「心の痛み」を伴うものです。
トラブルの最中は感情的になっているので、「私は、絶対に悪くない!」と意地になっているものですが、時間が経過し冷静になると「本当は私が悪かった。謝らなければ…。」と罪悪感が沸き起こったりするもの。
なぜ、このようなことが起きるのか?
それは、「本能的な自分」と「理性的な自分」の両方を持っているから。
「本能的な自分」は、生まれながらに持っているもので、他の存在と戦ってでも自分の快楽や安全を獲得しようとするものであり、生命維持のために持って生まれた「本能」
よって、これを完全に払拭することはできません。
「理性的な自分」は、教育によって育まれるもので、しつけや道徳教育などによって涵養されます。
だから、時間が経過した時に「本能的な自分」に罪悪感を抱くことになるのだと理解しています。
人間が、常に理性的に物事を判断できればトラブルは激減するはずですが、現実問題としてはその逆であり、どんどん「本能的な弱い人間」が増えていると感じています。
「本能的」と「理性的」は、「利己的」と「利他的」と置き換えることもできます。
社会生活を営む上で、どちらが他者とよりよい関係性を構築できるかを考えると一目瞭然であり、徳の高い人というのは「利他の心」が高い人のことを言います。
自分の欲望や感情のおもむくままに、自分のやりたいことだけをやっていては人生がうまくいくはずがありません。
利己的な気持ちや考えを薄めて、その分、利他的な方を濃くする努力をする。
具体的に言えば、謝罪の言葉や自省を繰り返すことによって、少しずつ自己成長を目指していくこと。
そうやって、心の痛みに向き合うことが「美しい心」と言えるものであり、「醜い心」と対極の関係にあるもの。
さらに「美しい生き方」とは、艱難辛苦を乗り越えた先にある、幸福な社会の実現を目指すものだと理解しています。
これからも自分の心を磨き上げる努力を継続していきたいと思います。
「美しい心」や「美しい生き方」に興味のある方は、「東京リベラルアーツ・アソシエーション」で一緒に学びを深められませんか?
興味のある方は、→ こちらより
ご入会を希望される場合は、「面接」をさせていただきます。(リアル or ZOOM)
面接をクリアされた方のみ、ご入会の対象となりますのでご了承ください。
「お茶会」は、どなたでもご参加いただけます。
締切は、本日11月5日(土)となっております。
詳細・お申し込み→こちらより
◇ 経営者・ビジネス人のための強者の教養
「西洋哲学塾」ホームページ→こちらより
「無料会員」としてご登録いただくと会員ページにアクセスできます。
定期的にメルマガが届きますので、楽しみにお待ちください。
◾️東京官学支援機構 専務理事
◾️東京リベラルアーツクラブ
上席研究員
◾️東京哲学会議 特別貢献会員
◾️東京リベラルアーツ・アソシエーション
会長
https://excellent-ed.jp/archives/20113
◾️公式LINE
↓ ↓ ↓
◾️ホームページ
◾️プロフィール
https://excellent-ed.jp/greeting#prof
◾️メール
◾️FB
https://www.facebook.com/kumiko.fujiwara.315
■YouTube
「『素直な人』では結果は出せない」
■YouTube
「成功を目指す人へ やめるべきこと」
■YouTube 人生は「脱落ゲーム」!