おはようございます、藤原です。
私たちは「自分」と「他者」を
区別して生きています。
「交流分析」にちょっとでも
触れたことのある人であれば、
「自他境界」という言葉を
耳にされたのではないでしょうか。
これは、自分と他者は別である
という「境目」を意味し、
自他境界が曖昧な人は、
自分軸がブレたり、葛藤や不安が
強くなったりすると言われています。
さて、哲学者のレヴィナスは、
「他者」について語った天才です。
心理学や自己啓発、スピリチュアル系
で聞く「他者」の捉え方とは、
まったく別の見方をしています。
人間は、自分と他者を区別して
いるにもかかわらず、いつも
他者の存在を意識して生きている
と。
例えば、Aさんのことが嫌い。
思い出すと不快になるので、
忘れたいと思っているのに、
Aさんのことか気になってしまう…。
そんな時、どうすればよいのでしょうか?
彼は、「他者に無限の責任を負え」と。
これはどういうことでしょう…。
それを説明する前に、一般的な
「責任」の負い方について。
問題が起きた時に、
他者に責任を押し付ける「他責思考」
何でも自分のせいにする「自責思考」
そして、「他責思考はよくない」
「自責思考がなければ成長しない」
などといった言説が見られますが、
そう簡単に決められるものでもなく、
どちらにも共通する場合もあります。
一方で、「他者に無限の責任を負え」は、
自分が他者のすべての責任を引き受ける、
ということ。
非常にハードルも貢献度も高いもの。
そのような考えに至ったのは、
「自分」という存在は、他者がいる
ことで成り立っているものであり、
比べる存在がいるから「違い」が際立つ。
さらに「責任」を負うことで、
他者への認識が変わり、言動まで
もが変わってくる、というもの。
つまり、一人ひとりが
「他者に無限の責任を負う」ことを
意識するようになると、ひいては
社会までもがよくなるということ。
あえて私見を述べると、
「他者」をどう定義づけるかで
もっとよくなると思います。
人間に限定せず、自分以外のすべて。
前回のブログでは、
お花を「他者」と呼びました。
そうすることで、責任を負う覚悟
を強く持つことができます。
ほんとうに「他者」に責任が負える
ものだけ。量だけ。言葉だけ。
責任が負えないと思ったら、やめる。
欲望まみれの人間にとって、
軽率な言動を律するのに
ふさわしい言葉ではないでしょうか。
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