おはようございます、藤原です。
リーダー的な立場の人や
意識高い系の人が、
物事の意思決定をする時に、
よく「客観的に判断した結果…。」
という言葉を使います。
例えば、
「私たちは、科学的なデータに
基づいて客観的に判断しています。
その上で、今回は〇〇にしました。」
というようなこと。
「客観的」の定義も疑問では
ありますが、科学的なデータが
正しいかどうかも疑問です。
多くの場合、自分たちに
都合のよいデータを引っ張って
くるのが、資本主義社会の
水面下で行われていることです。
思考力の低い人は、
それにまんまと騙されます。
一方で、
「あなたの判断は、主観的です。」
「それは、主観的な見方ですよね。
もっと客観的に見てください。」
などと言われたら、どうでしょう?
多くの人は、否定的な見方をされたと
落ち込むのではないでしょうか。
ここで、一般的に言われている
客観的と主観的をザックリ説明すると、
客観的とは、世の中の多くの人が
共通して認めているようなことであり、
科学的な根拠や経験的な裏付けがある
ほど、その信憑性は客観性を増します。
主観的とは、個々人がそれぞれの
見方や価値観で捉えることであり、
独自の視点や感覚や志向性が含まれます。
話を元に戻すと、
客観的が「優」で、主観的は「劣」
だと認識されているということです。
果たしてそうでしょうか?
個人的には、客観的より
主観的の方が大事だと思っています。
例えば、リーダー層の方であれば、
物事を判断する時にあらゆる角度から
重層的に判断して、部下に
指示・命令・行動を促す必要が
ありますが、それは最終的に
客観的な判断をしたとは言いません。
「責任者である私(主体)が、
これが最善(善い)だと判断した」
のように主観的に判断しています。
だからと言って、いちいち他人に
「私が主観的に判断した…」などと
口外する必要はありません。
そこは、内密にしておくことで、
「私が主観的に判断したことなので、
すべての責任は私が引き受けます。」
という覚悟が強まるというものです。
そう考えると、
「私が客観的に判断したことなので…」
と言うことで、責任をデータのせいや
実働した他者に押し付けることも
容易にできてしまうのです。
その結果、責任転嫁する
不健全な組織ができていきます。
大切なのは、客観的な情報を土台
とした上で、それを超えた
主観的な答えを出すことです。
そうでなければ、
いい仕事はできませんし、
そのような思考への向き合い方が、
直面する問題に対して、
自分なりの最善の答えを創造する
ことを可能にしてくれるものです。
知識やスキルを身につけることより、
根幹の部分で最も重要な
「メタ思考力」を磨くことにも
繋がります。
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