こんにちは、藤原です。
今の若い人たちは、
「反骨心」や「反骨精神」という
言葉を聞いたことがないという人も
結構いるかもしれません。
または、聞いたことはあっても、
意味はよくわからない…
という人もいるでしょう。
おそらく現在40歳ぐらいまでの人達は、
子どものときから「個性」や「自由」を
大切にされて育ってきたと思います。
「個性」や「自由」をどう定義するかでも、
その捉え方はまったく変わると思いますが、
ここでは世間で一般的に理解されている
「個性」や「自由」の意味だとして、
それが重要視されることで、
人間や社会にどのような影響を
及ぼしたかについて考えてみたいと
思います。
*
私が教員になった頃から、
「一人ひとりを大切に」とか
「個にあった指導」とか
「個性を大切にする」などと
言われてきました。
そのメリットもある一方で、
「個」を重視し過ぎることで
本人は快適かもしれませんが、
周りにいる人は、
不快を与えられることもあります。
実際に、個性や自由と主張することで、
「わがまま」「自分勝手」「身勝手」
な言動を容認しているケースを
教育現場や家庭生活の中で見てきました。
個性や自由が受け入れられるには、
その大前提である
「集団(社会)が機能する範囲内において」
という共通認識があってのことだと思います。
さらには、時代が進むにつれて
多様性も重視されるようになり、
社会生活を営む上でのマナーやルール
というものがますますわかりづらくなり、
個々人によって安易に決められるように
なったと言っても過言ではありません。
このような時代背景の中で育ってきた人は、
親に厳しく躾けられたとか、
先生からスパルタ的に指導された、
という経験がほとんどありません。
どちらかと言うと、家庭では甘やかされ、
先生からは褒められて育ったために、
社会とは「自分の思い通りになるもの」
「自分の計画通りになるもの」
「自分の言った通りになるもの」
だと、安直に考える人間を
養成してしまったと言ってよいでしょう。
そのようなゆるい環境の中では、
反骨心や反骨精神などは育ちません。
反骨心や反骨精神と聞くと、
「負けず嫌い」とか、
「自分の意見を押し通す」とか、
「頑固」「意固地」だというイメージで
捉えられがちですが、本来の意味は
そうではないと思っています。
もっとスケールの大きなもので、
過去の哲学者たちがやってきたような、
「世界をよりよくするために…」
「人間がよりよく生きるために…」
考えて考えて、新しい価値観や世界観を
創ってきたような崇高な行為のことです。
それは、反骨精神が強かった
からこそできたことであり、
この世界は「反骨精神」から
文化や科学が進化し、現在に至っている
と言ってよいのではないでしょうか。
反骨精神が強い人ほど、
自分の考え方や信念(矜持)などを持ち、
努力を怠らず、世界の矛盾に果敢に
立ち向かっていけると思います。
つまり、
反骨心や反骨精神のある人とは、
世の中の不正などに果敢に立ち向かう
強い信念を持っていて、
他者から反対されようとも
社会を変えていく覚悟のある人のこと。
社会を変えるために、政治家や国家に
不平不満や文句を言うことではありません。
むしろ自分もその中の一員だと自覚し、
一緒になって努力をしていくこと、
よくないことはよくないと言えることが
大切なことではないでしょうか。
そうした積み重ねによって、
日本の風土や民度に影響を与え、
誰もが幸せに暮らせる社会が
築かれていくと考えています。
私も微力ではありますが、
よりよい日本にするための努力を
してきたいと常々思っています。
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