おはようございます、藤原です。
「私には何の価値もありません。」
と言って嘆く人は少なくありません。
この言葉を分析すると
「私の存在には、何の価値もない。」
ということになります。
まず、「私の存在とは何か?」
について、考えてみたことは
ありますか?
多くの人は、考えたことがない
のではないでしょうか。
あるいは、私の「存在」を証明する
一つの方法として「自己紹介」を
思いつく人もいるかもしれません。
これは「私」そのものを語っている
のではなく、他者との「比較」を
言葉で表現したものです。
「私の住まいは、熊本県です」
「私の仕事は、〇〇です」
「私は、八代高校出身です」
「私は、東京哲学会議の特別貢献会員です」
「私は、東京官学支援機構の
専務理事をしています」
「私の趣味は、ガーデニングです」
など。
これらは、他の何かと比較して
表現される言葉です。
東京と比較するから熊本の
存在は、日本の南にあることが
理解できるのです。
だから、私そのものを語る
ことなどできないのです。
私の存在を語るためには、
「他の何か」の存在に依存
していることになるのです。
もっとわかりやすく言えば、
「私は、次女です」と説明できる
のは、長女や三女の存在がある
から成り立つわけです。
長男や次男や三男とも比較する
ことができますね。
繰り返しになりますが、
私の「存在」そのものは、
言葉では語ることができない
のです。
それなのに人間は強欲なもので、
「私の存在は、価値がある」と
思いたいのです。
だからこそ
「私の存在は、価値がない」
と思うと、悩みになったり不安に
なったりするのです。
ここで冷静に考えると、
私自身の「存在」を語ることが
できないわけですから、
私の「価値」も同様に語ることは
できないのです。
例えば、
「絵を上手に描くことが価値だ」
と思っていても、それは他者との
比較でしかありません。
友達より上手かもしれませんが、
ピカソと比べたら劣っているかも
しれません。
つまり、私の「存在」とか「価値」など
という言葉に、いかにも価値がある
ように思わされているだけなのです。
「私の存在には価値がない」
ということを理解できることが、
「価値」なのです。
「無価値であることの価値」
これが重要です。
これが理解できるようになると
「私には何の価値もありません。」
と嘆く問題自体が消え去ること
になります。
そうすると世界をどんどん
シンプルに捉えられるように
なっていきます。
一方で、言葉の世界に生きている
私たちは、言葉の「存在」に
依存しなければ生きていくことは
できません。
だからこそ、「言葉」の精度を
高めて、世界を捉えることが
重要となってくるのです。
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