おはようございます、藤原です。
先日、ある方から
「また、余計なお節介をして
しまったのでは?と反省しました。
ブログに気遣いとお節介について
書いてあったのをよく思い出します。」
というお言葉をいただきました。
ブログ→気遣いか?お節介か?
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さて、この「気遣い」と「お節介」
の言葉について掘り下げてみたいと
思います。
この2つの言葉は、似て非なる
ものだと捉えるのが一般的では
ないでしょうか。
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「気遣い」は、よいこと
「お節介」は、悪いこと
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「気遣い」は、相手に対して
よい行為をすることであり、
「お節介」は、相手に対して
余計な行為をすることである、
というイメージが張り付いています。
この言葉のイメージというのは、
今までの生活の中から、
無意識のうちに学んだことであり、
その言葉を深く「定義」している人は
少ないのではないでしょうか?
(言葉の定義については、
ここでは省略します。)
この2つの言葉は、どちらにしても
相手という「他者」が存在がします。
「気遣い」とは、他者に対して
思いやりやおもてなしの心を持って
やる行為だから「よい」こと。
「お節介」とは、他者に対して
余計なお世話をする行為だから
「悪い」こと。
これぐらいまでは、
多くの人が考えることです。
もう一段深く掘り下げて
思考を進めることが大切です。
これができないと
「思考を整理する」段階に
進むことはできません。
もう一段深く掘り下げると、
「気遣い」も「お節介」も巡り巡って
自分が他者に「よい人と思われたい」
という欲望(承認欲求)が根っこに
隠れていたら、どちらも同じこと。
この欲望、ここでは「承認欲求」は、
生きていく上で私たちの悩みの
大元となるものでもあります。
「承認欲求」は、
幼い子ども時代は、
「親に愛されたい」という
純粋な欲望としてわかり易い
かたちで現れています。
学校に行き出すと、
「先生に褒められたい」とか
「いい成績を取りたい」とか
「クラスの人気者になりたい」
といった、身近な他者の視線を
意識した欲望に育ちます。
大人になると、
「尊敬される仕事に就きたい」とか
「昇進して地位を上げたい」とか
「会社を大きくしたい」といった
構造(社会構造)を意識した
高次の欲望に育ちます。
さて、
「承認欲求」に「善悪」がないのを
前提とした上で、どこまで満たせば
満足する生活ができるのでしょうか?
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人間にはみんな「承認欲求」がある。
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嫌いなあの人にも、
尊敬するあの人にも、
親にも、子どもにも、
自分自身にも…。
==========
承認欲求=欲=欲望
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ここを理解していないと、
つい他人の目を気にしたり、
他人に嫉妬したり、
他人に無駄な闘争心を燃やしたり、
自分で勝手に舞い上がったり、
落ち込んだりと「感情」に
振り回されることになります。
自分の「承認欲求」の強弱は
どのくらいなのでしょうか?
このようなことを、自分の
日常生活の中に落とし込んで、
「使える」ようにしないと
意味がありません。
知っているだけでは、単なる
「知識」で終わってしまいます。
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