おはようございます。
藤原久美子です。
昨日から、東京に来ています。
都会はどこを見ても
イルミネーションが素敵で、
光の中に吸い込まれそうです。
デパートは、クリスマス商戦や
お歳暮の特設コーナーなどが
賑わっています。
今年は、コロナの影響で「帰歳暮」
という新語も登場したようです。
これは「帰省できない代わりに
ギフトを贈りたい。」といった
帰省自粛から生まれたニーズだと。
どこまでいっても「消費社会」で
あることを表現していますよね。
私たちが、季節のイベンドや行事
(クリスマス、お正月、バレンタイン、
母の日、父の日、敬老の日など)に
反応してしまうのはなぜでしょうか?
多くの人は、
「みんながするから、私もする」
「今まで親がしてきた習慣だから
私の代でもする」と、世間の常識や
家族の習慣となっていることを、
ただ単に真似しているだけでは
ないでしょうか?
それをすることが「いいこと」だと、
何の疑いもなく、あらゆる「情報」に
よって、そう思わされているのです。
(今回は、情報弱者については触れません。)
つまり、私たちは、情報に
振り回されながら生活しているのです。
「お正月だからおせち料理を
準備するべきだ。」
と思う人は、自分で作るか、
買いに行くか、ネットで注文するか
などの行動を起こすでしょう。
一方で、最近は世間の常識となって
いることに価値を見出せなくなって、
反発する人も増えてきたようです。
「みんながおせち料理を食べるの
だったら、私は絶対に食べない!」
と過剰に反応する人です。
前者と後者は、
どちらがいいのでしょうか?
そこには「善/悪」はありません。
根底はどちらも「同じ」です。
なぜならば、どちらも
世間や他人を基準に判断している
ことに変わりはないからです。
世間や他人を基準にする限り、
自分にとって幸せな生き方は
できないのではないでしょうか。
具体的に言えば、
作りたくない料理に、かなりの
時間を取られるのは苦痛だとか、
価値観のまったく合わない親戚を
呼んで、元日から説教じみたことを
言われるのは嫌だとか、
部屋のインテリアに合わない
お正月の飾り(〆縄や門松など)を
するのは、ストレスにしかならない、
という人もいるのではないでしょうか。
ここで、あえて誰かの幸せのために
意図的にやるのだったら、それは
意義あることだと思います。
一方で、
世間や他人に振り回されないために
「絶対におせち料理は準備しない!」
「絶対にお正月の飾りはしない!」
と、意固地になるのもいかがな
ものでしょうか。
そこに自分の意思は、あるのでしょうか。
行事だからとか家の習慣だからとか、
誰でもやっているから、
それをやるとか、あるいは
それをしないというのではなく、
自分がどんな価値観を持って、
意思決定をするかが大切なのです。
自分が好きな行事だったら、それに
便乗して楽しめばいいと思うのです。
我が家は、もう何年も
おせち料理は食べていません。
それよりも普通の料理が好き
だからです。
しかし、今年は「おせち料理」を
注文することになりました。
それには訳があるのです。
息子のお友達(親友)が、
ある企業に勤めていて、
おせち料理を売らないといけない
らしく、それに協力してもらえない
だろかと相談されたのです。
(どの業界も大変ですね。)
だから協力することにしました。(笑)
話を元にもどすと
まずは、
「自分はどうしたいか?」
「自分はどうありたいか?」
「自分は社会とどう関わりたいか?」
などを考えて、意思決定をしていく
ことが大切です。
なぜならば、私達は「言葉」を
覚えはじめてからというもの、
いろんな情報の影響を受け、
自分の頭で考えて意思決定を
するというよりも、
誰かが決めたルールや言ったことに
従うことがよいことだと思い、
世間や他人を基準に判断する癖が
ついてしまっているからです。
身の回りのイベントや行事などに
疑問を持ち、自分の頭で考える
ことからスタートしていきましょう。
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